自らの足で歩き、自ら食べること。そこまでは、本当の意味での生きること
ヒプノセラピー スピリチュアルライフ 夜明けのブログ2015/10/30の記事からの転載。
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認知症の人について、「闇に入り、闇を作り、闇になってしまっている」と伝えられました。自分で闇に入って、自分で闇を作り、自分が闇になってしまっているというのです。闇とは光と反対なもの。楽しいことを忘れてしまっているということです。人間は頭で考えて生きていると楽しいことが分からなくなります。
思考で生きることは、暗闇の中に生きることであり、闇を経験することです。私たちは、暗闇のトンネルに入って、思考で生きることで、闇を経験します。魂の成長のため、カルマの解消のために、思考で生きる暗闇のトンネルに入るのです。しかし、暗闇のトンネルはずっと留まるところではありません。
暗闇のトンネルから出る必要があります。大きな光になるために、深い闇を経験します。強く輝くために、本来の自分を封印するのです。封印を解いて、本来の自分を取り戻す必要があります。忘れていた楽しさを思い出さなければなりません。幼い頃のように楽しいことを感じられる自分になるのです。
暗闇のトンネルは、エゴや欲の闇を経験する場ですが、エゴや欲を大きくしていくと暗闇のトンネルから出られなくなります。エゴや欲を大きくすると、大切なものを捨てることになります。大切なものとは、楽しさや人の温かさ、感謝することなどの光です。すべての光は、考えることではなく、心で感じることです。
エゴや欲を大きくしながら思考で生きることは、暗闇のトンネルの中で地面に穴を掘っているようなものです。光のあるトンネルの出口には、どんなにもがいても到達できません。暗闇のトンネルから出るためには、自分のエゴや欲に気づいて小さくし、光を感じて行くことが重要になります。
厚生労働省の2015年1月の発表によると、日本の認知症患者数は2012年時点で約462万人、65歳以上の高齢者の約7人に1人と推計されています。軽度認知障害(MCI)と推計される約400万人を合わせると、高齢者の約4人に1人が認知症またはその予備群になるといいます。
どうして、これ程まで認知症患者が増えたのでしょうか。思考で生きることで、エゴや欲を大きくしてしまった人たちが多くなっているからです。お金を蓄えることに一生懸命になって、楽しむこと忘れてしまったからです。闇にどっぷり浸ることが当たり前になって、光の方に向かうことを放棄してしまったからです。
伊豆の農村に生まれ育った私にとって、高齢のお年寄りが毎日、野良仕事をしている光景は当たり前のことでした。幼い頃は、認知症という言葉もありませんでしたが、どんなに年をとっても人々は土を触り、自然に接していました。自然は光です。都会の中で生活して、自然から離れてしまった人々が増えたことでもあります。
認知症を通じて得られるものは、「私たちの生き方」だと伝えられました。「先のために今を捨てない」ことだといいます。お金はとっておくことが出来ますが、幸せはとっておくことは出来ません。お金=幸せではありません。お金は頭でとらえられますが、幸せは頭でとらえられません。
幸せは心で感じるものだからです。楽しいこと、心地よいことの先に幸せがあります。多くの人が、将来の老後の資金のために、お金を貯めることに懸命になっています。自分の楽しいことにお金を使うことを忘れて、貯蓄のための人生になってしまうのです。将来のために今を捨てないことです。
「今を抱きしめて生きる」とは、今を大切にすること。楽しむことは今を感じることです。介護の方向性は、「心地良さ。自然。歩くこと。やれば出来ることが必要」だといいます。心地良いことを選ぶ、自然の中で生きることが光に向かうことです。最終的に、認知症や介護は、「生きるとは何か」、につながります。
「自らの足で歩き、自ら食べること。そこまでは、本当の意味での生きること」と伝えられました。心臓が動いていることが生きていることではありません。脳波が現れていることが生きている証ではありません。延命治療は医療の闇によって生まれたものです。苦しみながら心臓を動かす必要はありません。
闇の中で命を長らえるより、光の中で命を終えることが光に還ることになるのです。人々が、幸せとは何か、生きるとは何か、について真剣に向き合い、自分の人生に生かしていくことが闇から光に変わることに繋がります。一人でも多くの人が光を選択していくことを願っています。
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これから、もっと加速化していくことであろう高齢化というもの。いずれは、自分も含め、みんな公平にやってくるものですね。老いというものが。同じ肉体を持った人間ですからね・・・
「自らの足で歩き、自ら食べること。そこまでは、本当の意味での生きること」と伝えられました。
まったく、その通りと思います。
自らの足で歩けることに、そして食べたいものが食べれることに感謝ですね。
また上の記事にもある延命治療。
最近、身近にもそんな治療を拒否した知人がいます。入院している父親(90歳)が食事を受け付けなくなり、食べないことが続いたある日、医者から、胃に管を差し込んで食べ物を流し込む、という方法を提案されたのだそうですが・・・
本人(父親)もそれはいやだ、と言うし、施設に入ることを考えると、それはやらないほうがよい、ということもあったようで、現在は無理をせず、なるがままにまかせているようです。それで逝くなら、それも致し方ないという判断だったようです。
病院も、そのあたりのことに関しては、はっきりとは言わないまでも・・・それもありかと、理解を示してくれているところもあるようで・・・