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宮崎「口蹄疫」に隠されたもうひとつの話

「たまむすひ」6/5の記事から転載させていただいた。
信じる信じないは、読者にお任せする。


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「口蹄疫」に隠されたもうひとつの話


牛(ウシ)、失し、
失われたものたちが蘇るとき、もう一度、その過程を見よ。
自分たちがなにをしてきたか、見よ。
けれども自らを責めるな。

牛はウレシ(嬉し)、自らが犠牲になることを憂いてはいない。
清い魂の牛たちは、今回の件において、自らが身を捧げることにより、メッセージを送っている。

もっと厳密に言えば、牛がそう思っているのではなく、ある意図に同意して、牛たちがそのようになっているのだ。宇宙の意思というべきか。

だから、牛たちが殺されたとしても心配するでない。
彼らの魂はちゃんと行くべきところに行く。導かれていく。

感染症というものは、どんどんと広がっていく。
それを防ぐには、隔離するか、殺すか、ワクチン注射か、何らかの方法で治癒するか、である。

牛は、牛頭天王、スサノオノミコトを表す。
日本の神話についてもいろいろと取りざたされているが、ここでのスサノオは、狼藉を働き、追放されたスサノオであり、追われる身となったものたちの象徴である。

潜伏していたものが浮上して、病気とわかる。
今まで封じ込められ、悪とされていたものが、本来の姿を浮上させつつある。

体制側にとっては、病気のような存在だ。
それがどんどんと広がっていっては困る。つまり、感染。
だから殺す。

今までの歴史でも行われてたことだ。
邪魔者は消す。

今再び、閉じ込められたエネルギーが現れ始め、地球上のものたちが本来のあり方に戻ろうとしているので、それに反する者たちは、どうにかして、それを自分らの都合に合わせて動かそうとしている。

口蹄疫に関する出来事は、その象徴だ。
日本中の人たちがこのニュースを見る。

今回の件は、体制側が行ってきた歴史を、今の人々が追体験することを触発している。

それはなぜか?

エネルギーの浄化である。

古の神々や自然界の精霊に関わらず、人間の内にも、社会のあり方にあわすために閉じ込めてしまった本来の自分というものがある。

牛の口蹄疫と同じように、それらが表に得たら、殺されはしないが、いじめ、のけ者、変人扱いとなるか、あるいは、親や家族が悲しむかもしれない、、、だから、閉じ込める。

それらすべての思いが牛の感染症というかたちで出ている。

だから、覚えておいてほしい。
ここで怒りをぶつけないでほしい。

牛たちは、私たちの行為と思いの犠牲となってくれている。
一身にそれを背負って供物となって、それらの思いを浄化してくれようとしているのだ。

長年の間、表に出れなかった無念さ、忘れられるか、悪者扱いされた悔しさ、光を見れなかったつらさ、、、大地に潜むそれを、牛が身をもって浄化してくれようとしているのだ。

それがわかれば、怒りやむなしさの前に、その大きな愛にむせび泣くことだろう。
そして、その恩に答えるために、二度と自分の欲のために他を虐げることをしないであろう。

どうか気持ちをそちらにむけてほしい。
怒りや憤りにむけないでほしい。

もちろん、対応できることは対応し、できるだけ殺さずにすむ方がよい。
が、この問題で、怒りや闘争心が出てしまえば、また元の木阿弥。
いつまでたっても、争いは終わらない。

宮崎とは、「身が先」、「宮」は、「器」「社」「女性性」「身体」。
「身が先」とは、受け入れる姿勢が先。
戦いではないのだ。

これからは物事は魂レベルで考えるべきである。
そうしないと、本質がみえてこない。

牛が逝ってしまったあとには、新しいエネルギーが吹き込む。
そのためにも、ネガティブなエネルギーを出すべきではないのだ。
せっかくの牛身御供が無駄になってしまう。

牛が自ら身を捧げてくれていることを知るがいい。
本来なら、しっかりとした神事のもとに殺されるべきである。
それほどのことを彼らはしてくれているのだ

人間が作り出した厄を浄化してくれているのだ。

だから、人間が重い気を再び作ってはいけない。
お礼と感謝と祈りの神聖な心を持つべきだ。

私たちがこの出来事をそのように受け取ることができると、
癒されていない存在たちが癒されるのだ。

自分たちが理解されたと感じて、癒されるのである。

この過程は、無事すまされねばなるまい。
そうすれば、一気に浄化が進む。

たくさんの無念が癒されるのである。
これから現れ出ようとしている存在たちが癒され、
本来の清々しい姿で現れることができる。

そのために起こっていることである。

これを理解する人は、ほんの一握りとなろうが、それでもよい。
一握りの人間がそれを知り、感謝と祈りを捧げることで癒される。

どうかこれを読んだ人は、半信半疑でもよいので、そのようにしてほしい。
怒りには理解を、争いには許しを、悲しみには癒しを、
死には愛と感謝
を向けてほしい。


「和音」(10.6.2)


なんで、感染病が、歴史や心の問題とつながるのか?と思われるかもしれませんが、病気は心の現れであり、すべての事象はつながり合っているという見解から読まれると、わかりやすいかもしれません。

長い年月の間、誤解や権力のもとに封じ込められていたエネルギーというのは、特に、自然界に関係のある精霊、神霊たちの中の、悪者とされていたものたち、いわゆる、もともとの土着の、疑うことを知らなかったが故に封じ込められてしまったような存在たち、、、そして、人間の純粋な魂レベルの存在のことでしょう。
人間で言えば、インナーチャイルド的なものでしょうか? 

また、ここでは、牛の話はしていても、農家の方々の被害については言及されておりませんが、被害に遭われている方々も、同様に、魂レベルにて自らを捧げてくださっていると思います。
感謝の気持ちとともに、この三次元界で物事が最善になるように、自分にできることをしていこうではありませんか。(悦月) 


(転載ここまで)
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