心の眼を開く時
先日、人伝にて「基本確認を怠らずに」と言われた。
最近、自分の足元が何か、おぼつかなくなってきているのを、
それとなく感じてはいたのだが・・・
この夏は、自分にとって、何かひとつの山場のようにも感じている。
じっくりと自分を振り返る時、心の足場をしっかりと固める時でもある、ようだ。
時間は、神様が十分に用意してくれたようだし・・・。
昔、仕事で夏の姫路城に取材で出かけたことがあった。
城内をくまなくぐるりとまわって、天守閣にものぼった・・・
カメラマンとともに汗だくになって、夏の城攻めはもうたくさん・・・
とかいいながら、帰京したのを思い出したが、
・・・この夏は、何か心の汗をたくさん掻くことになりそうだ。
下記は私とも縁の深い
聖フランチェスコの回心を描いた映画『ブラザーサン シスタームーン』の主題歌の歌詞だが、
「私の眼を開いておくれ 清く正しい心の眼を」の、この一節に目が止まった。
私たちがこの
“清く正しい心の眼を開く時”が、今ここにきているとも感じる。
ある人はこのように言っている。
『長年この世界に生きていると
魂の周りに黒い幕を作ります。
恐れや見栄や不安、罪などと言われるものです。
その不要な穢れを取り除くのが禊であり
その禊を行うことによって
神と繋がる神聖な場所が開けてくるのです』
謙虚に素直に、自分の心を丸裸にして、
心のまわりに付いたアカ・汚れを落とすことだろう。
アカ・汚れを落とせば、自ずと本質の輝きが出てくる。
「私にも神は宿る」のだから・・・だ。
・・・・・・・・・
その声はめったに私には届かない
自分の悩みだけに、心を奪われて
兄弟である風よ、姉妹である森の精よ
私の眼を開いておくれ 清く正しい心の眼を
私を包む栄光が、目に映るように
神に与えられた命
私にも神は宿る
その愛がいま
この胸によみがえる
ブラザーサン シスタームーン
今こそその姿に触れ、その声を耳に
そして胸を打つ、あふれるこの愛
神に与えられた命
私にも神は宿る
その愛がいま、この胸によみがえる
ブラザーサン シスタームーン
今こそその姿に触れ、その声を胸に