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『来る地球規模の変化について』2014〜2018年

「sakiのキラキラ∞+..+゚☆」2013/10/18の記事「それでも生きて行く」からの転載。
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今日書くことは信じてもいいし、信じなくてもいい。みなさん次第です。

昨日ゲリーボーネルさんのイブニングセミナーに行ってきました。

ゲリーボーネルさん、御存知でしょうか?アカシックレコードという場所にアクセス出来て、そこから未来を知ることが出来る方です。

『来る地球規模の変化について』2014〜2018年を読み解くと題してありました。

予言というのは、事より早く発表するもの。
しかし事前に伝えると多くの人はだいたい冷たいものです。
そして事後だと、何故知っていながらもっとちゃんと伝えなかったのかと非難されたり。

阪神淡路大震災の前年にゲリーは「来年の1月半ばの早朝に日本の中部で地震が起こる」と、やはりセミナーで伝えていたようです。
今回の日本の地震についてはサイキックでなくとも誰でも日本に地震が来ることは分かっている事と言った後で、お話は始まりました。

2015年4月の中旬の早朝に東海地方でマグニチュード9の地震。
震源地は本州沖、伊豆地方の南方のトラフ付近。
この地震によりマグニチュード7程度の群発地震が4つ起こる。
一週間後、東京に直下型のマグニチュード8の余震が起きる。
その一週間後にも東京沖の海底を震源地はとする地震が太平洋方向に向かう直線上に起こる。




一連で何回か津波が起き、和歌山の新宮と宮崎の海岸部に甚大な被害。

2016年の半ば本州北部から北海道にかけての地震。札幌は都市機能奪われる。
さらに一ヶ月後、本州の北方沖で二つの地震がほぼ同時に起きる。
この地震により海中のメタンガスが大量に放出されて、海岸沿いは居住に適さなくなる地域も出てくる。

記憶があいまいですが、たしかこの時の一つの震源地が東日本大震災の震源地と全く同じとの事でした。

悲惨で甚大な被害が出るが日本人はこの一連の震災を乗り越えて2017年より新しい日本になりとても良くなる。
日本はこの時期より安定する。
成田の地域も羽田もダメージを受けるが2020年のオリンピックまでに全ては整えられ日本で行われるそうです。

日本で比較的安定しているのは長野と宮崎以外の九州だそうです。

この予言怖がらせる為ではなく、皆さんが備える準備ができるようにとの事。そしてやはりゲリーが予想出来ていた、9・11のテロ。実は出勤率がいつもより圧倒的に少なかったそうです。
自分の直感を信じる事。
信じて自分の直感力に従えば、正しい時に正しい所にいられるとの事。


そして小さい地震が起きたら感謝する事。小さい地震が起きれば起きるほど、穏やかに力を分散して逃がしているという事だそうです。

世界でいうと、2017年初期に朝鮮半島で群発地震により中国も。億単位の被害者。

トルコ、スペイン、イタリアもこの順で8〜8・5の規模地震。
南北米大陸では火山爆発。

2018年くらいには今、私達が記憶してる世界中の海岸線はほぼ形が変わっているだろうとの事。

自分の見えてる予言が当たらないことを祈りますとの事。

それから来週また火曜とほぼ同じルートで台風が来るので、気を付けて下さいとの事でした。

信じるも信じないもみなさんの自由です。
ゲリーの当たらなかった予言も沢山あります。
私も100%信じてる訳ではありません。
でも心構えや参考程度にでもなればと思いますし、もし本当にこんな未来が待っているなら、今のうちにやっておきたい事や伝えたい事、出来ることもある気がするのでシェア致します。 


***転載ここまで***

阪神淡路大震災に関していえば、あの震災はちょっと?です。
前日の夜に神戸にいた外国人が、すべて神戸を離れて別の場所に移動していたという話がありましたからね。

どちらにしろ、上記のようなことがそのままに起きるとしたら・・・甚大な被害が予想されるでしょう。
中国に関していえば、あの欠陥ダムといわれている三峡ダムが決壊したら、予想死者は数億人といわれています・・・

この手の予言めいたものが当たらないということはよくある話です・・・
昨年の10月時点のもので、確定されたものではないという、ことを頭の裡に入れておきましょう。
備えあれば憂いなし、で臨みましょう。2015年以降は・・・。



下記動画は昨年の8月に録画されたもののようですが、カナダでの、こちらの音も、かなりのものです。
地球が出している音なんでしょうが・・・。






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ニセモノの終焉。ホンモノの登場

「ニセモノの終焉! ホンモノの登場」といったことが
いろいろな分野で、さまざまの場で
これから、起きてくる感じがします。

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わたしたちの本質は、愛と光にあふれた存在です。
ある臨死体験者は、落雷に打たれて仮死状態のなか、光の存在と遭遇したことを、ある文献のなかで語っておられましたが・・・
その存在の圧倒的な愛に衝撃を受けた、ということでした。
これまで、どんな人からも、家族や友人、恋人からも受けたことのない愛のエネルギーの大きさだったようです。
守護霊、守護天使、守護神やハイアー・セルフ、その他の自分と関係のある高次の存在といったところなのでしょうが・・・

わたしたちは、このような愛と光の存在(魂)をソースとし、この地上世界に出てきているわけです。
わたしたちは物質的な肉体に入り、この地上生活を経験しにきている霊的な存在(意識体)です。
自分を観るときに、この視点を忘れずにいたいものです。

で、今という時は、統合された自分を体現していく時でもありましょう。
自分が、これまでの人生で幾重にも着こんだ鎧兜を脱ぎ捨て、裸の自分(本質)になって生きる時でもありましょう。


かのドリーン・バーチュ博士はこんなことを言っています。

「神は人間の存在に差をつけませんでした。
自分を低く思うことは神を低く思うのと同じです。
自我はつねに後ろ向きな考えを生み、天の助けなど存在しないこと、
そして個人の存在意義を低めるようなことをささやき続けるでしょう。
これは、私たちの本質を忘れさせようという"あがき"にすぎません。
自我の声に耳を傾けていけません。」

自分のことからいっても、まさにこの通りでした。

自我は、頭脳の機械装置、ロボットである、といっておられる方もいますし、また過去の記憶のデータ、といっておられる方もいます。

ですから、ネガティブな思いや感情を感じているのは、実は自分ではない、ということ。同居しているロボットが感じているものだ、ということです。

これまでは、それを疑うこともなく「自分だ」と思い込んできたわけです。わたしたちは。
実は、そうではなかった、ということです。
自分のものでないなら、観察者(本質の視点)になって、さらりと流していくこともできます。


「ニセモノの終焉! ホンモノの登場」と、冒頭で書きましたが、

自我(エゴ)は、"ニセモノの自分" とよくいわれます。

ニセモノ主導の人生は終わりの時を迎え、ホンモノ(本質・魂)の主導で生きる人生の始まり、ということでもありましょう。・・・今という時は。



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私の人生は私のものであり、私がそれを創造している

zeraniumのブログさんからの転載。
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 あなたが自分には誰か他の人の助けが必要だと考えるとき、その援助を人々に求めることは確かに何も間違ってはいないし、時には多くを得ることもあるでしょう。しかし常に誰かに助けを求めることが習慣的になっている人は、自分自身で取り組むことをせず、その習慣を責任逃れの手段として用いているのです。

   具体的な物理的問題で、ほとんど知識のない分野であれば助力を求めるのは当然のことです。しかし多くの人々が、人生全般における答えを、霊能者や医者、心理カウンセラー、精神科医、聖職者、友人など、自分の外側に求めており、それによって自己認識をするので成長するべき自らの能力を否定しているのです。

   あなた方の世界にある教育に関する「枠組み」のために、人は「内なる自己」を探求するのではなく警戒するように教えられます。そのために一般的に多くの人々は、自分の問題を解決するためにその手段を外に求めるのですが、そこで見つかるはずもありません。

   グルや聖職者、科学者、心理学者、友人の言葉を、あるいは私の言葉を、あなた自身の存在が感じていることよりも高いところに置かないでください。他の人々からも多くのことが学べますが、もっとも深遠な知識はあなたの内側から生じなければなりません。あなたの意識は基本的に、他の人々の経験し得ない一つの現実に関わっているのです。その現実はそれ自体が意味を持って、「成就の道」に従っているのです。

   今いるところから始めてください。
   今あなたが持っている属性を、未だ充分に発達したもののようには見えなくても、期待せずに楽しく伸ばし始めることです。あなたは自分自身を愛し、容易に隣人を愛することができるでしょう。今の自分自身と、自分についての理想化された概念を比較したとたん、あなたは自然に心に咎めを感じるでしょう。そうしたやましい気持ちは、あなたが自分のうちに抱えている観念や信念を処理するまで、さまざまな出来事によって引き出され、引き起こされるでしょう。

   あなたをやましい気持ちでいっぱいにする、具体的な行為や出来事をリストにするのはいい考えです。それらを追跡することで、子ども時代に持つようになった観念にまで容易にたどり着くこともできます。そうした中には、親が善意から、あるいは大人の無知から、徐々に教え込んだ観念もあるでしょう。けれどもそうしたものも明るみに出されると、それらの多くはあなたの理解力を前に消滅してしまいます。

   この宇宙における自分の存在の正当性を肯定できると、あなたは自分自身の本質のある側面を通して、他の人々と容易に自然に協力するようになります。あなたがあなた自身であることが、他の人々が彼ら自身であることを助けるのです。あなたは自分にはない才能を妬んだりしないので、他の人々の持つ才能を気前よく助長することができます。なぜなら自らの独自性を認めているので、ほかの人々を支配する必要もなく、しかも彼らを羨んだり、へつらう必要もないからです。

   あなた方はいつかは自分自身を信頼し始めなければなりません。
   私は、今そうすることを勧めます。他の人々があなたを認め、あなたの価値を証明してくれるのを期待して待っている限り、あなたが彼らから満足を与えられることはありません。どうするべきかをいつも他人に尋ね、そうしているにも関わらず自分が満足することはなく、むしろ助力を求めている相手を恨んだりすることになります。つまりあなたは自分の経験は偽物であり、他人の経験こそが正当なもののように思っているのです。

   自分自身を肯定するという、簡単な手段を用いる必要があります。
   その肯定こそが、あなたが持つ本来の属性を解き放ち、新たな経験を自分のものとするのです。たとえば、自分が見た夢を解釈して欲しいと誰かに頼む時、あなたは自分が本来持っている潜在能力を、切り開く手立てを1つ放棄するのです。

   自分の人生の行くべき方向を教えてほしいと誰かに頼む時、実はあなた自身がすでにそれを知っているということを、自分自身に認識させないようにしているのです。このような「気づき」がないならば、根本のところであなたが救われることはありません。

   すでに述べましたが、肉体を否定することでより霊的になるということはありません。
   肉体とともに生きる人生が、ここでのあなたの人生なのです。あなたの本質的なことや身体的な存在を理由に、あるいは何らかの宗教的な教義を理由にして、人間は生まれながらに悪であるとか、罪を犯しているなどというような人を信頼してはいけません。またあなた自身の現実から逃げるように教える人や、罪の償いをする必要があると説く人にも注意しなければなりません。

   そうしたものの代わりに、自分自身の存在の自発性と、あなた自身のものである人生を信頼しましょう。今いる状況が気に入らないのであれば、それをつくり上げた自分の観念がどういうものであるかを調べてみることです。それらをすべて明るみに出す時、あなたの内には怖れるべきものは何もないことがわかります。

   ”私の人生は私のものであり、私がそれを創造している”

   この言葉を繰り返し、常に自分に言い聞かせてください。
   自分の人生を創造しましょう。あなたがこの世に誕生するときに選択した身体的なものを除いて、あなたが変えることのできない状態など1つもないのです。今あなたが病気であったり、ある困難な状況のために自己憐憫でいっぱいであるのなら、自ら主導権を握るようにしてください。そしてその原因となった自分の観念や信念を正直に直視し、その苦しみの原因を見つけ出してください。

   私はこれを読む人々の1人1人に内在する「内なる生命力」と、彼らの「内なる知識」と話しています。繰り返しますが、あなたは自分の観念に従って自分の現実を創造しています。あなたの思いである観念や信念は、あなたの世界をつくる創造のエネルギーです。あなたが信じているものを除いて、自己というものに限界はありません。あなたの存在の根源はあなたの内にあり、それはあなたが知る自己をはるかに超えたものです。自分自身を敬い、自分の存在の内なる神性とともに進んでください。


        『個人的現実の本質』 ジェーン・ロバーツ著 ナチュラルスピリット
                            抜粋

(http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-e4c0.html)




≪つぶやき≫
最近「あなたの中に住んでいるかわいらしい女の子が出て来たい、出てこようとしているのが判りますか? 受け入れてあげましょう。 」と伝えてきているんだけど・・・
自分の中に住んでいる、「かわいらしい女の子」とは、さて誰?なんだろうか・・・


 

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つぶやき

自分が、日々出くわすもの(人、人の自分を評する言葉、出来事)は、
すべて自分の内面の世界の投影でもあるわけですが。

昨日、見せられた車のナンバー「13−33」。
普段、車のナンバープレートなんかを気にして見ているなんてことは、もちろんないんですが・・・
この時は、なにか見せられたという感じがしました。

この数字に関しては、心当たりがないわけでもありません・・・
ただ、見せられた意図はわかりません。
偶然はありませんからね、なんか意味があってのことなんでしょう。おそらく。






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自愛の時節

自分にとって、自愛の時節の到来のようです。

以前、自分にこんな問いを投げかけていました。
「自分はこの地球に、なにしにきたんだろうね?」と。

下記が、それからしばらくして、webを通じて来た、その解答でした。
(と、かってに自分でおもっているだけでして・・・ほんとは違うかもしれないです)

私は、愛を体験するために、そして愛を通してコミュニケーションするために、
再びこの地球を訪れているのだ。

言葉によるコミュニケーションは、時に多くを語りすぎるがために、
本当に伝えたいことを逃してしまう。
そして、言葉は、受け取り手によって、本来の意味を失うことすらある。
素晴らしいツールでありながら、使いこなすのはとても難しいツールでもある。
愛を伝えることはできても、愛を語ることはできないのかもしれない。

私は、愛を伝えるために、自らを愛する方法を選択している。
自分を愛することは、神を愛することであり、すべてのものを愛することに通じるということを知っている。
そして、それは、「あるがまま」を受け入れるときに、はじめて可能になるのだ。

無条件の愛、この自分の存在そのものが愛であることに、気づかなくてはならないのだ。
そして、その愛は、ふれるものすべてに、伝染されていく。


あなたの内の、ハートのご自分とともに、生きながら、この地上に天国を現わしていきましょう。



この動画は、なにかアップしたくなったもので、
そのまま、内から湧き上がってきた想いに従いました。

  


6.16 か・・・





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目にうつる全てのことは・・・


自分の目にうつる全てのことはメッセージ・・・

自分へのメッセージが、小さなことから大きなことまで、この世界には散りばめられているということなのでしょう。

はーとの自分から、まいんどの自分へ。
また見えない世界からの自分へのメッセージが。

自分の外側は、自分の内側を映し出してくれている鏡でもありますから・・・

あとは、それに気づけるかどうか、ということなのでしょう。



  





≪ひとりごと≫
昨年末のことなんですが、それまですっかり忘れていた、あるブログ(一昨年閉店)がありました。
それが、ほんとに突然なんですが
インスピレーションの如くに思い出されてですね、それで気になって検索してみたら・・・
昨年9月に復活を果たしておりました。

インスピレーションで、そのブログ復活を教えてくれた、見えない世界の親切な存在がいたみたいです。
なんのために知らせてくれたのかはわかりませんが、流れのままにという感じでしょうか・・・



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つぶやき

「世界が平和でありますように。
 世界の人々がしあわせでありますように。」

新年を迎えたときの祈りでありました・・・

こころを平和に、そしてしあわせを感じていきましょう。
外側の世界は自分のこころをあますことなく反映する映し鏡。
世界は自分でもあります。

これから、どんな世界を創造していくのか・・・
私たち一人ひとりに、その創造の責任があるということです。


今年もよろしくお願いしますです。


☆☆☆

肌でいろいろなものを感じ
肌でいろいろなものを受け取るのは
大事なことぞ

今 ここに生きているということの証

実感できるということじゃ
それを大切にすることだ

己が人生は
今のこの場にしかないのだからな

地に足をつけ 
生きることが大事なのじゃよ

しっかりと感じ
しっかりと受け止めて生きることじゃ

進化の場は、ここにしかないのだ
頭(思考)の中ではないぞ

これを しっかりとわかれよ



・・・・・・・・・



  





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